ふと毎日使っている水筒が目に止まり、この記事を書いている。
もともと水筒なんて持ち歩く人間ではなかったが、7年前にもらった水筒を毎日使い続けている。

しかし不思議なのが、とてつもなく飽き性の自分が7年間も同じものを使っているのだ。これはほんとうに不思議な現象である。
なぜ飽き性の自分が、ずっと同じものを使い続けられるのか?そんなことが気になったので、今回のテーマにして浅堀りしてみた。
そもそも水筒に興味がない
これを言っちゃオシマイなんだが、ほんとに水筒に興味がない。
正直、コーヒーが飲みたいタイミングで飲めれば水筒でもペットボトルでも紙コップでもなんでもいいのだが、たまたまもらった水筒が目的にマッチしてしまったのだ。
興味が湧くと「もっともっともっと」良いものを手に入れたくなるのが人間だが、逆に興味がないと「ま、いいや」となるのも人間なのである。
そんなわけで興味がないがゆえ、買い替えようとも思わない。というのが一つ目の理由である。
手入れが楽
この水筒は手入れが楽なのだ。
パーツはシンプルで回して外す蓋と本体のみ。
僕はロックを外して飲み口がパカッと上を向いて飲むようなタイプの水筒が大の苦手で、理由は分解して洗うのが死ぬほどめんどくさいから。娘たちが学校にそのタイプの水筒を持っていっているのだが、洗い物をする度に発狂しそうになる。
手入れが楽だと日常にストレスがかからない。だから飽きない。というのは間違いでない。
耐久性がある
あと、この水筒はとにかくタフだ。
毎日リュックのポケットに入れて持ち歩いており、何度地面に落としたかわからない。
一度真冬に凍ったスーパーの駐車場で思いっきり転び、10mぐらいこの水筒が吹っ飛んでいったことがあったが、中に入れたコーヒーは漏れることも冷めることもなかった。
落下の都度凹凸が増えるものの、機能には全く影響を与えず中身を守り続けてくれる。
長く使うものと耐久性の関係はとても重要なポイントである。
デザインがシンプル
シンプルなデザインというのは長期的に飽きない。
派手な色や一風変わったクセのあるデザインも好きだが、手元には何一つ残っていない。僕の場合「おっ!」と心揺さぶられるデザインには初動では引き寄せられるが、必ず飽きてしまう。
結局のところ長期的にしっくりくるものは無駄な装飾がなく、デザインがシンプルなものなのだ。
それぞれ好みもあると思うが、なるべく原始的でシンプルなデザインを選んだほうが、長期的に飽きず使えるのではないか。
買い替えないミニマリズム
なんで水筒についてこんなに考察してしまったかわからないが、身近なものにこそ自分のミニマリズムが隠れているんじゃないか説を唱えたい。
「ミニマリストの持ち物」的なネタが注目されがちだが、コロコロ持ち物を買い替えている時点で本質的にはミニマリズムでは無く、娯楽だと思っている。
もちろん持ち物を厳選していくことも大事だが、
それ以上に一つのものを長く使うということはミニマリズムの精神においても、地球環境においても大切なこと。
この水筒の存在こそ、僕にとってはミニマリズムの実践なのだ。